錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
0885 自動車の運転
2019年06月07日 11:15
いやっほー、またやったねー!
喜ぶメディアと人々。
言葉は選ぶであろうけど、もうワクワクが止まらないのが見え見え。
タイトルが「高齢者ドライバー問題」だって。
もうお祭り。
被疑者は人を殺しちゃっているから、やじうまは正義を振りかざして天に喚く。
多くの人が、「池袋の事故知っているだろうに、それなのに運転するなんてどういう神経だろう」「家族は何で止めないんだ」とわかりやすく叫ぶ。
でも、高齢者だけの問題じゃないよね。
もちろん、高齢者は脳も含めて身体機能が衰えているから、瞬時に判断・操作ができず被害が大きくなるということもあるだろうけど、そもそも、車の運転って、そんなに簡単なものじゃない。
トン単位の重量のある金属の大きな塊を時速100km/時以上で、だれでも簡単に運動させられるって異常だよね。
でも、そんなことは問題にしないで、攻めやすい部分で、「高齢者ドライバー問題」っていう表現は、的外れだね。
高齢者が「俺の車の運転はまだ大丈夫だ」というのに対して、「ははは、自分だけは大丈夫だと思ってるよ」と嘲笑する。
「俺の運転はまだ大丈夫だ」という高齢者と、「高齢者ドライバー問題」と呼ぶ人々は似た者同士である。
自動車関連の産業が戦後日本をけん引してきた。
だれもかれもが、自動車運転免許を取得し自動車を所有し、自転車の如く乗り回す。
いつしか、自動車の走行する風景が当たり前になり、自動車という機械への恐れを、運転する者も運転しない者も感じなくなった。
いま、一般の自動車を制限することは誰も賛成しないだろう。
しかし、今じゃないかなと思う。
高齢者だとか、アクセルとペダルの構造だとか、その部分も論ずるべきところかもしれないが、もっと根本的な問題を棚上げしているような気がする。
高齢者だけとかじゃなく、自動車の一般の所有を制限すべき時じゃないかと思う。
高齢者の免許証の返納とか、自動車の構造の改良は特効薬で、効くかもしれない。
でも、先送りなんじゃないかな。
もし、誰しもが平等に自動車を運転できる権利が大事というのなら、3年ごとの免許証の更新じゃなくて、3年ごとの再取得、じゃないだろうか?
そっちを考えることも必要。
柳 秀三
喜ぶメディアと人々。
言葉は選ぶであろうけど、もうワクワクが止まらないのが見え見え。
タイトルが「高齢者ドライバー問題」だって。
もうお祭り。
被疑者は人を殺しちゃっているから、やじうまは正義を振りかざして天に喚く。
多くの人が、「池袋の事故知っているだろうに、それなのに運転するなんてどういう神経だろう」「家族は何で止めないんだ」とわかりやすく叫ぶ。
でも、高齢者だけの問題じゃないよね。
もちろん、高齢者は脳も含めて身体機能が衰えているから、瞬時に判断・操作ができず被害が大きくなるということもあるだろうけど、そもそも、車の運転って、そんなに簡単なものじゃない。
トン単位の重量のある金属の大きな塊を時速100km/時以上で、だれでも簡単に運動させられるって異常だよね。
でも、そんなことは問題にしないで、攻めやすい部分で、「高齢者ドライバー問題」っていう表現は、的外れだね。
高齢者が「俺の車の運転はまだ大丈夫だ」というのに対して、「ははは、自分だけは大丈夫だと思ってるよ」と嘲笑する。
「俺の運転はまだ大丈夫だ」という高齢者と、「高齢者ドライバー問題」と呼ぶ人々は似た者同士である。
自動車関連の産業が戦後日本をけん引してきた。
だれもかれもが、自動車運転免許を取得し自動車を所有し、自転車の如く乗り回す。
いつしか、自動車の走行する風景が当たり前になり、自動車という機械への恐れを、運転する者も運転しない者も感じなくなった。
いま、一般の自動車を制限することは誰も賛成しないだろう。
しかし、今じゃないかなと思う。
高齢者だとか、アクセルとペダルの構造だとか、その部分も論ずるべきところかもしれないが、もっと根本的な問題を棚上げしているような気がする。
高齢者だけとかじゃなく、自動車の一般の所有を制限すべき時じゃないかと思う。
高齢者の免許証の返納とか、自動車の構造の改良は特効薬で、効くかもしれない。
でも、先送りなんじゃないかな。
もし、誰しもが平等に自動車を運転できる権利が大事というのなら、3年ごとの免許証の更新じゃなくて、3年ごとの再取得、じゃないだろうか?
そっちを考えることも必要。
柳 秀三
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