メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
石清水八幡宮で連想するのは吉田兼好です。
2019年05月21日 22:31
京都府の南部に八幡市という町があります(=゚ω゚)ノ
人口が7万人程の市で、桂川と宇治川と木津川がここで合流して淀川に名前を変える地点があります。
この町の中心部に男山という山があり、そこに石清水八幡宮が存在しています。
石清水八幡宮………
平安時代始め、清和天皇の859年(貞観元)、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌860年(貞観2)、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。
(石清水八幡宮のホームページより抜粋( ..)φ)
そんな由緒ある石清水八幡宮へ、このところ数回仕事で行かせてもらってます。
この社殿は男山の上にあるので、京阪電車八幡市駅の横から出ているケーブルカーで山頂まで上がります。山頂までは3分程の道のりです。1枚目のコラージュ写真がそうなんですが、とても眺めが良かったです。
男山山上駅から社殿まで歩いて行きます、朱色の建物がとても印象的でした。
さてタイトルにありますけど、何故吉田兼好を思い出すのか?
高校の古典の時間に「徒然草」習ったのですが、この中に石清水八幡宮が出てくるのです。
簡単に話すと、仁和寺のお坊さんが前々からお参りしたかった石清水八幡宮に念願叶って行くことができたのだが、男山の麓の神社だけ参拝して山上の社殿に行かなかったという話です。このお坊さんは麓の神社を社殿と思い込んでいて、山上に社殿があることを知らなかったというワケです。
そんな話がとても印象的で、石清水八幡宮ってどんなところなんだろうと考えていました。
そして〇十年たって念願が叶いました。
何だかこの仁和寺のお坊さんと同じかもしれませんね。ただ僕はちゃんとメインの社殿に行けましたけど(≧▽≦)
今度は麓の神社から歩いて上り、社殿に行ってみたいものですね(^ω^)
人口が7万人程の市で、桂川と宇治川と木津川がここで合流して淀川に名前を変える地点があります。
この町の中心部に男山という山があり、そこに石清水八幡宮が存在しています。
石清水八幡宮………
平安時代始め、清和天皇の859年(貞観元)、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌860年(貞観2)、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。
(石清水八幡宮のホームページより抜粋( ..)φ)
そんな由緒ある石清水八幡宮へ、このところ数回仕事で行かせてもらってます。
この社殿は男山の上にあるので、京阪電車八幡市駅の横から出ているケーブルカーで山頂まで上がります。山頂までは3分程の道のりです。1枚目のコラージュ写真がそうなんですが、とても眺めが良かったです。
男山山上駅から社殿まで歩いて行きます、朱色の建物がとても印象的でした。
さてタイトルにありますけど、何故吉田兼好を思い出すのか?
高校の古典の時間に「徒然草」習ったのですが、この中に石清水八幡宮が出てくるのです。
簡単に話すと、仁和寺のお坊さんが前々からお参りしたかった石清水八幡宮に念願叶って行くことができたのだが、男山の麓の神社だけ参拝して山上の社殿に行かなかったという話です。このお坊さんは麓の神社を社殿と思い込んでいて、山上に社殿があることを知らなかったというワケです。
そんな話がとても印象的で、石清水八幡宮ってどんなところなんだろうと考えていました。
そして〇十年たって念願が叶いました。
何だかこの仁和寺のお坊さんと同じかもしれませんね。ただ僕はちゃんとメインの社殿に行けましたけど(≧▽≦)
今度は麓の神社から歩いて上り、社殿に行ってみたいものですね(^ω^)
