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カキっ放し!!

 錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん

0474 鬼面の地蔵①

 2018年11月11日 16:27
自宅辺りをウォーキングするときのお決まりのコースの途中、藤原7丁目の道端に鎮座する、俺が勝手に呼ぶところの「鬼面のお地蔵さん」がある。写真のように、明らかに修復されているのがわかるが、異様である。なんでこんな怖い顔なんだろう。もとがこのような顔だったのだろうか、それとも修復したときに変えられたのか、通るたびに気になっていた。本尊脇には昭和六年に建立されたことと「千葉縣精乳園」の文字が彫ってある。

「千葉縣精乳園」とはなんだ?牛乳を精製する施設だろうか?このあたりは江戸時代に小金牧と呼ばれ軍用馬の供給地だったので、後の時代になり、牛の牧場ができて乳製品の生産場があったとしたらうなずける。

インターネットで「千葉県精乳園」で検索してみると、トップに「千葉県役場利用場 繪はかき-表の家」というタイトルの記事があり、アクセスしてみた。そこは「松戸を初め主に東葛地方についての情報を発信しています」という、個人のホームページ「表の家」の中の、古絵葉書の記事であった。その記事の中には「千葉県精乳園」についての記載もあった。

以下は、その「千葉県役場利用場 繪はかき-表の家」 omotenouchi.jp(表の家)の記事の一部を、そのまま引用したものである。

『郷土出版社の目で見る100年シリーズ「目で見る船橋の100年」に千葉県精乳園の事が記述されており、これによれば「精乳園は昭和四年に設けられた酪農の施設。当時の藤原新田、現在の藤原五丁目・七丁目にまたがり、10ヘクタールほどの広さがあったという。農家から預かった牛の種付けや搾乳をし、牛は約200頭いたという。牛乳は総武線の両国駅や千葉駅で売られたそうである」』

そういうわけで、「鬼面のお地蔵さん」の脇に彫られている「千葉縣精乳園」については、船橋市藤原にあった酪農施設だったということがわかった。精乳園の設立が昭和4年、「鬼面のお地蔵さん」の建立が昭和6年であるから、そこも合う。

しかし、「鬼面のお地蔵さん」そのものの謎、なぜこのお地蔵さんはここにあるのか、顔の修復にどういった経緯があるのか、などはそのままである。

聞き込みなどをして、徐々に解明していくかなー。

知らない人が嫌いなのに、自分から話しかけるなんて、俺にそんなことできるか?

柳 秀三
コメント
 2 件
 2018年11月11日 20:36  錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん
すみれさん

なんかねー、こうして歩くのを続けていると、いずれいろいろと知れてくるんじゃないかなーと思うんですよ。

このお地蔵さんの事だけじゃなく、他の知らない神社の事とかも・・・。

俺はここの土地の者じゃないから、もし、そういうことを知れたら、ちょっとは土地になじめたのかなーと、思えたらいいな、なんて空想してます。

柳 秀三
 2018年11月11日 19:19  錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん
すみれさん、かんばんは(笑)

知らないんだけど、手を合わせちゃうって、日本人ですねー。

わからないほうがロマンってこともありますよね。

俺のほうの「鬼面のお地蔵さん」はそれほどの由来も無いと思うので、調べちゃいたいなと思います。

てか、このお地蔵さんの顔が好きなんですよ。

かっこええー♪って。

柳 秀三
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