錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
0392 読んではいけない①
2018年10月05日 09:06
昨日の急な階段と坂の登り降りでヘロヘロになったわりには、今朝の筋肉痛が大したことが無い。毎日歩いているから鍛えられているのだろうか。そういうことにしておこう。
人間の体は、機械とは違って、サッと交換・修理して「ほら、動いたぞ」というわけにいかない。でも、人間の体は、日々、自己修理し自己更新する力がある。そして、それは死ぬまで続く。なぜなら、その自己修理し自己更新することこそが生きているということなのだから。
この自然の力に感謝し、日々、脳を使い、体を使い、なるべく健やかに生きていこう。
メーターが付いてないので、自問自答する、自分を覗き込む、ちょっと立ち止まって考える。ほかの動物や植物を見て、俺はこいつらと上手くやっているのかなと考える。
結局周りのすべてに生かされているのだ。どれが自分にとって有益でどれが無益なのかを判別しようとするのは無駄なこと。他(た)に、自分に、正直に生きていけばいい。
今日は寒いじゃないか。
夏が過ぎ、もう秋なのか。
地球がクルクルとスピンしてくれるからわれわれはまんべんなく日々を送れるし、斜めりながらえっさほいさと太陽の周りを回ってくれるから季節の移ろいを知れる。
コメダ珈琲があるからこんなろくでもないことを恥ずかしげもなくブログにアップできる。なので、たっぷりブレンドと、ほうじ茶シフォンを頼もう。
毎日続けると自分に課していることに、雨の日は別にして「10000歩を歩く」というのと、「このブログをアップする」というのがある。どちらも前述の自己修理と自己更新につながることだし、楽しみでもある。
しかしながら、根はナマケモノなので、決めておかないとやらなくなる可能性が大である。小心者でもあるのでここにこうしてアップすれば「今日も10000歩を歩きましたー」と他(た)に嘘をついてまでナマケることもできない。
毎日アップするのでネタが足らなくなる。なので、こんなふうに無理やりな内容になることは致し方ないと思っている。
でもブログアップを4月4日から毎日続けてるおかげで、速度ではなく、当初よりタイピングが間違いなく上手くなっている。「習うより慣れろ」方式である。
その実感を「毎日10000歩を歩く」でも、感じられたら、幸せである。(じじむさい?)
柳 秀三
人間の体は、機械とは違って、サッと交換・修理して「ほら、動いたぞ」というわけにいかない。でも、人間の体は、日々、自己修理し自己更新する力がある。そして、それは死ぬまで続く。なぜなら、その自己修理し自己更新することこそが生きているということなのだから。
この自然の力に感謝し、日々、脳を使い、体を使い、なるべく健やかに生きていこう。
メーターが付いてないので、自問自答する、自分を覗き込む、ちょっと立ち止まって考える。ほかの動物や植物を見て、俺はこいつらと上手くやっているのかなと考える。
結局周りのすべてに生かされているのだ。どれが自分にとって有益でどれが無益なのかを判別しようとするのは無駄なこと。他(た)に、自分に、正直に生きていけばいい。
今日は寒いじゃないか。
夏が過ぎ、もう秋なのか。
地球がクルクルとスピンしてくれるからわれわれはまんべんなく日々を送れるし、斜めりながらえっさほいさと太陽の周りを回ってくれるから季節の移ろいを知れる。
コメダ珈琲があるからこんなろくでもないことを恥ずかしげもなくブログにアップできる。なので、たっぷりブレンドと、ほうじ茶シフォンを頼もう。
毎日続けると自分に課していることに、雨の日は別にして「10000歩を歩く」というのと、「このブログをアップする」というのがある。どちらも前述の自己修理と自己更新につながることだし、楽しみでもある。
しかしながら、根はナマケモノなので、決めておかないとやらなくなる可能性が大である。小心者でもあるのでここにこうしてアップすれば「今日も10000歩を歩きましたー」と他(た)に嘘をついてまでナマケることもできない。
毎日アップするのでネタが足らなくなる。なので、こんなふうに無理やりな内容になることは致し方ないと思っている。
でもブログアップを4月4日から毎日続けてるおかげで、速度ではなく、当初よりタイピングが間違いなく上手くなっている。「習うより慣れろ」方式である。
その実感を「毎日10000歩を歩く」でも、感じられたら、幸せである。(じじむさい?)
柳 秀三
コメントがありません。
コメント
0 件