錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
0041 分かれ道
2018年04月19日 12:19
X街道で車を走らせている。
A地点でスタートして、B地点に行きたい(おさむちゃんで~す)
ふだん、混む道ではないが渋滞が始まってしまった。
約束の時刻はある、それゆえに、かなり余裕を持って出てきたが、やはり渋滞は嫌だ。
この先、C地点にう回路となり得るY旧道の入り口がある。
カーナビは渋滞情報が表示されないタイプだ。
運転中は携帯電話は使わないし、車を停めるのは面倒だ。
渋滞の原因がどこにあるのかわからないのでは、X街道にするか、Y旧道に逃げるか決められない。
やがて、Y旧道の入り口C地点に到達した。
やはり考えることはみな同じ、先行する車がどんどんY旧道に左折していく。そのままX街道を行く車とY旧道に逃げた車はちょうど半々になったろうか。
さて、どちらを選ぼうか。
前方車がまっすぐX街道を行ったので、Y旧道へ曲がった。
ゴールのB地点に着いてからも、どちらを選んで正解だったかわからない。
なぜならば、渋滞はB地点を越してその先まで続いていたからである。
仲間と会い、どちらを通ってきたか聞いてみると、X街道を来たというが、着いた時刻は大して変わらない。
仲間とスタート地点が一緒で、同時スタートし、あらかじめX街道とY旧道とにわかれて進行すれば、どっちが早かったかわかるが、渋滞はハマって初めてX街道かY旧道か悩むわけで、渋滞を知らなければみなX街道を行くはずである。
これは架空のお話だが、長いこと車の運転手を稼業としてきたので、このような渋滞のシチュエーションに遭遇することが多かった。
簡単に言うと、やってみなければわからないし、やったからってそれが正解といえるかどうかもわからないだろうということだ。
やった自分と、そうじゃない自分と、どちらかしかいないはずだから、比較できないし、比較の必要もない。
この渋滞の分かれ道のシチュエーションを、ことあるごとに思い出す。
「あ、いま分かれ道だ。どっちがイイかはわからない。でも、選んだ方が正解だと思うことにしよう」
柳 秀三
A地点でスタートして、B地点に行きたい(おさむちゃんで~す)
ふだん、混む道ではないが渋滞が始まってしまった。
約束の時刻はある、それゆえに、かなり余裕を持って出てきたが、やはり渋滞は嫌だ。
この先、C地点にう回路となり得るY旧道の入り口がある。
カーナビは渋滞情報が表示されないタイプだ。
運転中は携帯電話は使わないし、車を停めるのは面倒だ。
渋滞の原因がどこにあるのかわからないのでは、X街道にするか、Y旧道に逃げるか決められない。
やがて、Y旧道の入り口C地点に到達した。
やはり考えることはみな同じ、先行する車がどんどんY旧道に左折していく。そのままX街道を行く車とY旧道に逃げた車はちょうど半々になったろうか。
さて、どちらを選ぼうか。
前方車がまっすぐX街道を行ったので、Y旧道へ曲がった。
ゴールのB地点に着いてからも、どちらを選んで正解だったかわからない。
なぜならば、渋滞はB地点を越してその先まで続いていたからである。
仲間と会い、どちらを通ってきたか聞いてみると、X街道を来たというが、着いた時刻は大して変わらない。
仲間とスタート地点が一緒で、同時スタートし、あらかじめX街道とY旧道とにわかれて進行すれば、どっちが早かったかわかるが、渋滞はハマって初めてX街道かY旧道か悩むわけで、渋滞を知らなければみなX街道を行くはずである。
これは架空のお話だが、長いこと車の運転手を稼業としてきたので、このような渋滞のシチュエーションに遭遇することが多かった。
簡単に言うと、やってみなければわからないし、やったからってそれが正解といえるかどうかもわからないだろうということだ。
やった自分と、そうじゃない自分と、どちらかしかいないはずだから、比較できないし、比較の必要もない。
この渋滞の分かれ道のシチュエーションを、ことあるごとに思い出す。
「あ、いま分かれ道だ。どっちがイイかはわからない。でも、選んだ方が正解だと思うことにしよう」
柳 秀三
すみれさん
「どちらを選択しても結局自分が選んだ道」
おっしゃる通りだと思います。
単純明快で、そういつも思っていられたら、楽ですね。
てか、分かれ道で悩む自分に酔っていたりするです。
あー、いま俺、悩んでるな~、人生を生きてるな~って。
なんか思慮深い感じに憧れもあったりして。
お気楽に生きてきたからかな~
柳 秀三
コメント
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