遠鉄百貨店教室
yasu さん
やらまいか2-2
2022年03月14日 22:55



今回はヤマハのオートバイについて書きたいと思います。
ヤマハとヤマハ発動機と二社ありますがオートバイはヤマハ発動機のほうです、最初に作ったオートバイは1955年(昭和30年)です、ホンダが最初のオートバイは1947年、スズキが最初のオートバイが1952年ですのでヤマハ発動機はかなり後発のオートバイメーカです。
「楽器屋さんがオートバイを造るんだって」と社内でそんな物できるかよとささやいていたそうだ。
戦前は飛行機のプロペラを造りかなり精度の良いプロペラを造り当時ではシェア60%を占めていたのでかなり精度の良さがうかがえる。
戦後は平和産業にもどり1947年にピアノの生産を再開、1950年に川上源一新社長が就任、精度の高いプロペラ生産をしていたのでわが社にオートバイが造れないわけがい、一緒にやらまいかと声をける1953年オートバイエンジンの試作から始まる、当時の浜松ではオートバイの人気は高くかなり触発されたのではないか。 モデルとなるオートバイがあり、ドイツのDKW125が試乗して乗り心地が良いので参考にて1955年一号車YA-1(通称赤トンボと呼ばれる)完成、それからオートバイ部門は日本楽器株式会社から独立して1955年7月1日ヤマハ発動機株式会社が発足する。オートバイレース活躍し性能のが認められ大きく発展していく。
今ではトヨタ車のエンジンを供給する、トヨタ2000GTはヤマハ発動機との共同開発の車です。
しかし第一号オートバイは楽器屋さんの造ったモノですね。
1)YA-1【赤トンボ) 2サイクル125CC
2)DKW125 (モデル車)
3)トヨタ2000GT
ヤマハとヤマハ発動機と二社ありますがオートバイはヤマハ発動機のほうです、最初に作ったオートバイは1955年(昭和30年)です、ホンダが最初のオートバイは1947年、スズキが最初のオートバイが1952年ですのでヤマハ発動機はかなり後発のオートバイメーカです。
「楽器屋さんがオートバイを造るんだって」と社内でそんな物できるかよとささやいていたそうだ。
戦前は飛行機のプロペラを造りかなり精度の良いプロペラを造り当時ではシェア60%を占めていたのでかなり精度の良さがうかがえる。
戦後は平和産業にもどり1947年にピアノの生産を再開、1950年に川上源一新社長が就任、精度の高いプロペラ生産をしていたのでわが社にオートバイが造れないわけがい、一緒にやらまいかと声をける1953年オートバイエンジンの試作から始まる、当時の浜松ではオートバイの人気は高くかなり触発されたのではないか。 モデルとなるオートバイがあり、ドイツのDKW125が試乗して乗り心地が良いので参考にて1955年一号車YA-1(通称赤トンボと呼ばれる)完成、それからオートバイ部門は日本楽器株式会社から独立して1955年7月1日ヤマハ発動機株式会社が発足する。オートバイレース活躍し性能のが認められ大きく発展していく。
今ではトヨタ車のエンジンを供給する、トヨタ2000GTはヤマハ発動機との共同開発の車です。
しかし第一号オートバイは楽器屋さんの造ったモノですね。
1)YA-1【赤トンボ) 2サイクル125CC
2)DKW125 (モデル車)
3)トヨタ2000GT
遠鉄百貨店教室さん こんばんは。
飛行機部品は空を飛ぶので非常に精度が高い部品で信頼を得ていたようですね、だからオートバイへの基礎技術があったんですね。でも楽器屋さんからオートバイを造る発想はなかなかでないですね。
やり遂げる力は浜松ならではですね。
コメントありがとうございます。
飛行機部品は空を飛ぶので非常に精度が高い部品で信頼を得ていたようですね、だからオートバイへの基礎技術があったんですね。でも楽器屋さんからオートバイを造る発想はなかなかでないですね。
やり遂げる力は浜松ならではですね。
コメントありがとうございます。
yasuさん、こんにちは~★
社内で「そんなものできるかよ」という批判がありつつも、
やらまいか精神があって、オートバイの開発に繋がったんですね!!
歴史を知るのはいいですね(*^-^*)♪
社内で「そんなものできるかよ」という批判がありつつも、
やらまいか精神があって、オートバイの開発に繋がったんですね!!
歴史を知るのはいいですね(*^-^*)♪
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