イオン橋本教室
すみおくん さん
災害ボランティア 阪神大震災
2015年01月17日 18:58
20年前の1月17日、阪神大震災が発生しました。
なにかお役に立てることはないかなと思いつつ、様子を見守り、一ヶ月後の2月中旬、災害救援のボランティアに参加しました。
作業内容は、壊れかかった家屋の解体と瓦礫の運搬でした。
神戸の西の方の拠点から、二人一組でレンタカーのダンプを運転し、須磨区の被災地に入りました。
市内はビルも電柱も傾き、道路が波打っている所もありました。木造の家屋はつぶれ、瓦礫は道路に散乱し、迷路のような道を通って現場に辿りつきました。
私達は解体された家屋の瓦礫を、重機のオペレーターの方に積んで頂き、それを布施畑の処分場まで、何度も往復して運びました。
その後、中央区の仮置き場へ運ぶようになり、途中、JR鷹取駅のガードをくぐって行くのですが、その辺へ行くと焦げ臭いのです。右も左も何百メートル先まで、大火災の焼け野原でした。
そして、その中にはあちら、こちらに花束が手向けられてあり、又、お坊さんを中心に5~6人の人がまるくなって、お祈りしている姿もありました。丁度一ヶ月後の2月17日のことでした。
作業中、現地の方達は大変喜んで下さり、遠くからでも来させて頂いて、良かったなと思いました。
四日間の作業を終え、東京へ帰る道中、あの光景を思い出すと私は涙が出てきました。
災害で亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、今、命のある私達は、その分、精一杯に生きて行かなければいけないのだなと、今日の日に思わせて頂きます。
なにかお役に立てることはないかなと思いつつ、様子を見守り、一ヶ月後の2月中旬、災害救援のボランティアに参加しました。
作業内容は、壊れかかった家屋の解体と瓦礫の運搬でした。
神戸の西の方の拠点から、二人一組でレンタカーのダンプを運転し、須磨区の被災地に入りました。
市内はビルも電柱も傾き、道路が波打っている所もありました。木造の家屋はつぶれ、瓦礫は道路に散乱し、迷路のような道を通って現場に辿りつきました。
私達は解体された家屋の瓦礫を、重機のオペレーターの方に積んで頂き、それを布施畑の処分場まで、何度も往復して運びました。
その後、中央区の仮置き場へ運ぶようになり、途中、JR鷹取駅のガードをくぐって行くのですが、その辺へ行くと焦げ臭いのです。右も左も何百メートル先まで、大火災の焼け野原でした。
そして、その中にはあちら、こちらに花束が手向けられてあり、又、お坊さんを中心に5~6人の人がまるくなって、お祈りしている姿もありました。丁度一ヶ月後の2月17日のことでした。
作業中、現地の方達は大変喜んで下さり、遠くからでも来させて頂いて、良かったなと思いました。
四日間の作業を終え、東京へ帰る道中、あの光景を思い出すと私は涙が出てきました。
災害で亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、今、命のある私達は、その分、精一杯に生きて行かなければいけないのだなと、今日の日に思わせて頂きます。
バイカーさん 今晩は
コメントを頂き、有難うございます。
姪っ子さんも被災されたのですね。
当時は道路事情も大変だったと思います。
私も神戸の被災地へ行き、身近に感じるようになりました。
コメントを頂き、有難うございます。
姪っ子さんも被災されたのですね。
当時は道路事情も大変だったと思います。
私も神戸の被災地へ行き、身近に感じるようになりました。
すみおさん 今晩は
私も姪がいるので西宮に
水を持って行きましたが道路がだめで行けませんでした
私も姪がいるので西宮に
水を持って行きましたが道路がだめで行けませんでした
むーみんさん 初めまして
大阪からコメントを頂き、有難うございます。
関西の方達は、周囲で被災された人もおられるのでしょうね。
当時は、大変だったと思います。
東京は遠いのですが、被災地へ行き、身近に感じるようになりました。
大阪からコメントを頂き、有難うございます。
関西の方達は、周囲で被災された人もおられるのでしょうね。
当時は、大変だったと思います。
東京は遠いのですが、被災地へ行き、身近に感じるようになりました。
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