京橋教室
てるこ さん
わが町の新喜多東 今昔
2011年03月11日 12:38
大阪城より東へ約4㎞位東に位置する、城東区新喜多東は
今から3百年前頃は もともと 京橋辺りから東大阪市域一帯 大和川が流れていました。
宝永元年に、柏原辺りから真っすぐ西へ向かい大阪湾に
流れ込む様に、川の付け替え工事が行われ 低い土地を開発
して出来た所が新喜多新田と言います。
開発を進めた 3人の人物名から一文字ずつをとって、
新喜多 と 名付けられたそうです。 その方々とは
鴻 池 新十郎 の 「新」
鴻 池 喜 七 の 「喜」
今木屋 多兵衛 の 「多」 です。
又、現在の寝屋川に架かる極楽橋辺りには、旧野崎道の跡の碑があります。
近松の作品に「野崎詣りの屋方船」は、この道沿いの川を
通っていたそうです。
極楽橋の欄干には 屋方船が川に浮いている様に施されています。 一度訪れて下さい。
今から3百年前頃は もともと 京橋辺りから東大阪市域一帯 大和川が流れていました。
宝永元年に、柏原辺りから真っすぐ西へ向かい大阪湾に
流れ込む様に、川の付け替え工事が行われ 低い土地を開発
して出来た所が新喜多新田と言います。
開発を進めた 3人の人物名から一文字ずつをとって、
新喜多 と 名付けられたそうです。 その方々とは
鴻 池 新十郎 の 「新」
鴻 池 喜 七 の 「喜」
今木屋 多兵衛 の 「多」 です。
又、現在の寝屋川に架かる極楽橋辺りには、旧野崎道の跡の碑があります。
近松の作品に「野崎詣りの屋方船」は、この道沿いの川を
通っていたそうです。
極楽橋の欄干には 屋方船が川に浮いている様に施されています。 一度訪れて下さい。
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